|
一つ目の白亜 白亜の犬吠埼灯台 |
|
◇銚子は太平洋に突き出た東端の地。銚子半島の東海岸にある海鹿島や犬吠埼は離島や山を除くと、日本で一番早い初日の出を拝むことができる場所です。年末年始は大勢の人々で大変賑います。
|
|
◇義経伝説:奥州(藤原氏)への逃避行の際、銚子犬若から船出しました。その時、愛犬若丸を置き去りにしました。7日7晩泣き続け8日目の朝大きな犬岩になったといわれています。(犬若の犬岩伝説)。その泣き声が犬吠まで聞こえたことからと云われています。 |
◇アシカの泣き声説:当時生息していたアシカの鳴き声が犬にていたから。 |
◇アイヌ語説:アイヌ語で「海難事故が多いところ」の意味から。 |
◇地名研究家の説(参考) |
犬吠埼の地名由来は「オニ」が「イヌ」に、「ホウ」が「ボウ」に訛ったもの。「鬼:オニ」は険しく猛々しい意味。「ホウ ボウ」は「ほうける」とか「ぼぼける」の意味の「崩」で、崩壊地形をあらわします。険しく崩れやすい断崖絶壁という意味の「鬼崩 オニホウ」が「犬崩 イヌホウ⇒イヌボウ」になり、犬は吠えるので「犬吠」と表記して誕生したと。犬若の地名「イヌワカ」は「オニワカ」の転訛したもの「ワカ」は「崩:ホケ ハケ ワケ」が訛ったと。 |
|
①金源盛号 唐船(船長26間、乗員88人)犬吠埼沖で遭難。
②美香保丸(慶應4年8月榎本武揚率いる8艦船の一つ)黒生沖遭難。
③神龍丸1868年9月榎本討伐後の帰路、黒生沖で難破遭難。乗り組員の龍野藩士専八は静養先の吉野家で淡路まんと知り合い生まれたのが国木田独歩です。 |
|
◇一般的に地名では「崎」が多いですが。灯台は「埼」が一般的です。灯台は海軍水路部が「埼」を採用したことにより「埼」が殆どです。旧陸軍の流れをくむ国土地理院は「崎」を採用したので地名は「崎』が多いです。因みに伊能図では犬吠崎と書かれています。同時代に書かれた史料には犬吠崎、犬吠岬と並んで石切の鼻などと記されています。筆者も意識して見てきましたが、灯台建設以前に書かれた史料に犬吠「埼」と書かれたものを見ていません。(今は灯台名も地名も「埼」で統一されています)。
伊能図は地名として「崎」と記しています。明治初期の陸軍による迅速測図では地名は伊能図と同し「崎」になっています。
◇一方旧海軍水路部は海洋に突出した陸地の突端部を示す「埼」を採用しました。
そのため、灯台名や海図では例外があるものの「埼」なっています。戦後、国土地理院は旧陸軍測量部を海上保安庁水路部は旧海軍水路部を継承しました。
参考:昭和35年に海上保安庁水路部と国土地理院が「地名等の統一に関する連絡協議会」で協議しましたが双方とも譲らず現在に至っています。(今は同じ国土交通省)
筆者の推測:銚子の場合、犬吠埼灯台の存在が大きく、地名もいつの間にか「埼」になったと思われます。 |
|
◇幕末から明治・大正・昭和初期までは利根川の水運利用した香取・鹿島・息栖の3社詣銚子磯巡り観光で賑わました。松岸・本城の遊郭、今宮の芝居、磯巡り(飯沼観音・和田不動・千人塚・夫婦ケ鼻・黒生・海鹿島・君ガ浜・犬吠・長崎・外川浦・屏風ケ浦)。
当時の犬吠は石切り場、観光名所として有名。今、犬吠埼は銚子で最もメジャーな観光地として1年を通して賑わっています。特に年末年始は 日本一早い初日の出
を拝む人々で埋め尽くされます。5月ごろからは磯遊びなど家族ずれの観光客でにぎあいます。
|
|
◇犬吠埼灯台は幕府の江戸条約や大坂条約での条約灯台ではありませんが米国の捕鯨漁船の便宜を図るため米国の要求を受けて建設されました。
明治政府の招聘で来日したイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計・監督のもと明治5年着工、明治7年11月15日完成しました。
◇レンズの大きさは:一番大きい全国に5基ある一等灯台のレンズです。犬吠埼灯台は国の登録有形文化財になっています。写真②、③
灯台の高さ:地上から頂部まで、31m、平均水面から投火まで52m
光源の強さ:110万カンデラ、(1カンデラは1燭とほぼ同じ)写真④
光達距離:19、5海里(約35km)、15秒に1回閃光を放ちます。
◇全国の一等灯台:
犬吠埼灯台(銚子市)、経ヶ岬灯台(京丹後市)、出雲日御碕灯台(島根県出雲市)、
角島灯台(下関市)、室戸岬灯台(室戸市)の5つの灯台があります。
◇犬吠埼灯台は二重円筒の構造で国産煉瓦19万3千枚を使用し、九十九里浜に因ん99段の螺旋階段があり、さらに梯子をのぼるとバルコニーに出れます。写真②
レンズは建設当初、フランス製8面閃光レンズを使用していましたが、現在は国産一等4面レンズ使用、総重量は13tあります。
光源は当初は石油使用(写真⑤)、大正12年より電気に、現在メタハライド電球400w。灯台資料館には国産初の一等レンズ(直径3.03m)があり、大きさに圧倒されます。
|
|
◇この海域は霧の発生しやすい場所として知られています。灯台の位置を霧笛で知らせるための霧笛舎が作られました。1910年に竣工した鉄造建物で創業間もない八幡製鉄所(現・新日本製鉄)製の鋼板を使用しました。国産初の鋼板を使用した現存最古の建造物です。灯台と共に国の登録文化財、近代産業遺産になっています。霧笛舎は平成20年(2008)3月に運用を終了しました。写真⑥ |
|
◇GPSの精度を高めるためもので、全国27カ所の基準局が発信する電波を利用して全地球測位システムの誤差を修正し精度を高める技術です。補正データを送信することにより衛星信号を補正します。2020年に撤去されました。 |
|
◇飛行中の航空機が、自機の位置を確認するために使用する無線標識施設の一つす。現在使用されていません。写真⑦ |
|
◇犬吠埼の砂岩は”銚子石”と呼ばれ、江戸時代以前から切り出され、砥石や石垣、土台、他に多く利用されてきました。灯台下の馬糞池辺りは石切場として有名で、灯台建設以前は犬吠崎、犬吠岬、石切の鼻などと呼ばれていました。(現在は石切は行われていません) |
|
二つ目の白亜 犬吠埼は白亜紀地層 |
|
◇犬吠埼の灯台下の海岸は1億2千万年前の恐竜が住んでいた時代(白亜紀前期)の地層です。 もしかしたら恐竜の化石を発見できるかもしれません。
◇この時代は地球内部の活動が活発であった時代で、現在より温暖で海水準が上昇していたと云われています。
◇犬吠埼の浅い海での堆積物は国の天然記念物に指定されています。
アンモナイト、トリゴニア、コハク、シダ、ソテツ、花粉などの化石や生痕化石が見つかっています。
(平成14年3月19日、国の天然記念物に指定されました)写真⑨ |
|
◇鬼の洗濯岩:洗濯板のような地層がみられます。厚く白い所は砂が固まった砂岩。薄く黒ぽい層が泥岩層です。砂岩泥岩互層といい中生代白亜紀前期の銚子層群の堆積構造の一つです。写真⑩
平常時は主に陸からの泥が、嵐のさいは砂がもたらされます。結果、互層ができます。浅い所では砂の方が厚く、深い所では泥が厚く堆積します。結果、堆積した水深により砂岩と泥岩の厚さが違います。
泥岩層は砂岩層に比して浸食されやすいので凹状になります。
砂岩層と泥岩層の厚さの違いが岬や浦をつくります。(参考へ)
|
|
◇暴風時の海面で発生する波が海底面に作用し写真のように当時の海底の様子を現在に残しています。写真⑪
|
|
◇水流による砂の移動痕の上に泥が堆積し保存されたもので蓮根(リップルマーク)とよばれます。写真⑫
犬吠埼で観察されるものは、嵐が徐々に治まる過程で、砂の上にできたものだと考えれています。 |
|
◇風化作用で岩石の表面が蜂の巣のように穴があくこと。犬吠灯台下の海岸には多数の蜂の巣状風化がみられます。 写真⑬ |
|
◇生痕化石(せいこんかせき)とは、生物そのものではなく、生物の生活の証拠の痕跡が地層中に残されたものを指します。足跡や這い跡、せん孔、食事の跡、うんこなどの排泄物の化石などです。
◇犬吠埼灯台下には生物の這い回った跡などの活動を留めた化石が多くあります 。
エビやカニの仲間の巣。ゴカイの這い回り跡。があります。このことからも当時ここが浅い海であったことの証拠です。写真⑭ |
|
◇左の画像で丸くいくつも並んだ塊がノジュール(nodule)です( 小さな塊の意)。堆積岩中の珪酸や炭酸塩が化石 や砂粒を核として化学的な凝集を受けて形成された塊です。まわりの母岩より固く、球状になる場合が多く、割ると化石が入っていることがあります。
写真⑮
|
|
◇海岸は風が強く、また崖地は土壌も少なく、植物にとって厳しい条件です。そんなところに適応した植物が生育しています。イソギク(写真⑯)やハチジョウススキなど黒潮により分布域を広げた植物もあります。黒潮の日本の最終地点は銚子です。イソギク・ハチジョウススキなどは北限の植物といわれています。 |
|
犬吠埼・海鹿島周辺の文学碑など |