銚子ジオパーク市民の会

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20220514
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 飯沼観音、川岸公園(利根川水運で栄えた)、銚子の醤油産業
飯沼観音&リンドの水準原標石、利根水運で栄えた川岸、銚子漁港の功労者、銚子の醤油産業

図①:Google地図に加筆
 川岸公園から銚子大橋を望む

写真① (対岸は茨城県神栖市波崎)
 川岸公園付近は、むかし、利根川の水運で栄えた場所です。
 
  飯沼観音&飯沼水準原標石 

図②:銚子名勝図 圓福寺(圓福寺所蔵)
江戸時代中期か


写真④:飯沼水準原標石案内板
この囲まれた中に原標石(下)があります。


写真5:飯沼水準原標石
土木学会「土木遺産」に指定されています。

銚子付近のリンドの行程
 
図③
国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所
堀江水準標隻調査報告書より


写真⑥:飯沼観音本堂の左手奥の舟着坂の碑



写真⑥:濱口吉兵衛翁像

            飯 沼 観 音           
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飯沼観音の圓福寺は、坂東33ヵ所観音霊場第27番札所です。           
境内には、本尊・十一面観音を安置する観音堂(本堂)や五重塔があります。
◇神亀5年(728年)、漁師の網にひっかかった十一面観音像の奉安に始まり、弘仁年間(810年~824年)に東国を巡っていた弘法大師が開眼したと伝えられています。
◇銚子の繁華街や商店街は、飯沼観音を中心に形成され門前町として繁栄してきました。

写真③
五重の塔
  写真②
飯沼観音(坂東33ヵ所観音霊場第27番札所)
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     飯沼水準原標石(当時の日本の深浅高低の基準)    
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◇写真②:本堂の左側にある五重の塔(写真③)のすぐ左隣に、当時の日本における深浅高低の基準であった「飯沼水準原標石」(写真⑤)があります。土木学会の土木遺産に認定されています。
◇飯沼水準原標石はお雇い外国人のオランダ人技師リンドにより設置され、日本初の水準原標石で近代測量の出発点となる重要な記念碑」です。写真④参照
リンドは明治5年8月24日利根川の水準調査を堀江(浦安市)より開始しました。
最初に行ったのが利根川、江戸川の水位確定でした。利根川河口の銚子市馬場町の飯沼観音(圓福寺境内)に日本水準原点「飯沼水準原標石」を設置し、この地点の利根川の水位を0メートルと決めました。JP(Japan Peil)オランダ語で水準面の意。

 リンドの日記から
リンドは1872/10/15東庄町石出から松岸(銚子市)まで測量12時ごろ高田(銚子市)に到着、松岸泊(粗末な茶屋)。10/17、松岸より飯沼着2時。設置作業をする?。
飯沼に泊(泊家不明)。10/18設置作業?後、飯沼から測量しながら高田に戻り宮内清右衛門家に泊。10/19東庄町の石出に向かいました。

◇日記によればリンドは飯沼観音に午後2時着き1泊したのみで設置を完了しています。どの様な手順で原標石を設置したのでしょうか。リンドの日記には事前事後作業についての記録はありません。
①田中玄蕃日記によればリンドは1872年6/20(明治5年5月13日)銚子に宿泊しています。
②「1872/5/31(明治5年4月25日)に堀江を訪れおりこの頃、銚子も訪れたようです。」(リンド日記)
③1872年末、12月ごろリンドは銚子で水準測量を行っています。(日本治水の説)
①、②は事前調査で、③は事後の対応ということでしょうか。(管理人)


     銚子の先人:濱口吉兵衛翁像(新生公園内)    
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◇濱口吉兵衛(1868~1940)は銚子漁港の近代化に尽力しました。明治元年紀州有田郡広村に生まれ、旧制第一高校・帝国大学に学ぶ。大正7年銚子醤油株(ヒゲタ醤油)初代社長となりました。
◇1910年3月12日、暴風雪よって銚子沖の漁船が遭難し多くの漁師が死亡・行方不明になりました。海難遺族からの訴えに濱口吉兵衛は、漁港を整備することを決意し衆議院議員に立候補し当選、国庫補助を得て漁港整備事業を開始しました。昭和14年竣工しました。
◇漁港整備はその後も続き2001年度の第9次整備計画の実施により、運河・外港・堤防の建設、港湾道路・施設の設置、埋め立てなどが行われて、銚子港は現在の姿となりました。長い年月をかけ先人達の努力により現在の安全漁港になりました。

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  川岸公園(この辺りは昔、水運の中心)
 
図①:吉田初三郎:銚子鳥観図の部分:概ね4ケ村(旧本銚子町、旧銚子町)相部分当


徳川家康が入府
治水事業に着手



利根川の流れを江戸湾から
銚子を経て太平洋に流れるように変えました。
承応3年(1654年)利根川の東遷完了
概略:赤点線を実線のように銚子へ流す。


図②:利根川上流河川事務所HPよりに加筆



銚子の発展につながった。
江戸時代から明治期に水運で栄えた
銚子の4ケ村

図③:明治17年迅速即図銚子要部に加筆





潮来は銚子より早く水運で栄えましたが、
浅間山の噴火などあり港機能が低下した。
(元禄時代までがピークか)


写真①:今の潮来市前川

昔、この辺に仙台河岸があった。


写真②:今、碑が残るのみ



東遷後は銚子が中心になる。
4ケ村の発展につながった。


図④:濱口儀兵衛商店所有の河岸場明治26年
歴史地理調査報告8
筑波大学歴史・人類学系研究室より



明治30年(1897) 総武線全線開通、
その後
トラック輸送の発展で銚子での水運は衰退しました。






川岸公園周辺は銚子の中心(旧本銚子町と旧銚子町)
◇銚子港沿革誌では「銚子」の範囲について定義分けしていますが、最も狭義の4ケ村(飯沼村、新生村、荒野村、今宮村)が川岸公園を含むエリアで、後の本銚子町と銚子町)に当たります。4ケ村は利根川の水運により大きく発展した村々です。
◇大正時代の銚子鳥瞰図部分(図①)に見られるように利根川の水運が衰退後も銚子の中心部として発展し続けてきたことが分かります。市役所、税務署、警察書、学校、銀行(都市銀行を含む4行)、汽船会社、漁港、ヤマサ・ヒゲタ他の醤油工場、多くの寺社、工場、病院などが確認できます。

江戸時代の4ケ村 
主に「歴史地理学調査報告8(筑波大学歴史地理学研究会)」より
今宮村
◇商人多し、芝居小屋、青物や、旅宿、東北諸藩の廻米を扱う御穀宿幕末6軒内の1軒は宮内与惣左衛門、紀州、摂津などの漁民集落。
荒野村
◇町商人多し、問屋、御穀宿5軒、東北地方の一般荷物を扱う気仙問屋は5件中4軒があった。物資輸送の中心的役割果たした。醤油は13軒中9軒:広屋重治郎(ヤマジュウ)、広屋庄右衛門(ジガミサ)、広屋儀兵衛(ヤマサ)。明治期には郡役所、町役場、警察、税務署、郵便局が置かれたれ中心的場所になった。東京銚子汽船株式会社、銀行などもあった。
新生村
◇かつては飯沼村と一村であったという。漁師多し。
飯沼村
◇飯沼観音下を中心とした商業集落と利根川沿いの飯貝根(イガイネ)を中心とした漁業集落がありました。草分け百姓で豪商の田中玄蕃家や高崎藩の陣屋があり、文化6年(1809)の人口は6216人で4ケ村全体の半分を占める大きな村でした。

銚子の発展に寄与した利根川の水運
◇発展の要因は銚子が東北と江戸を結ぶ水運の要衝になったことです。地域の水運は徳川氏以前、利根川東遷まで、東遷以降、総武線の開通までに分けてみてみます。
徳川氏入府以前
◇銚子周辺地域は縄文時代から海や川を介した交易が行われていました。徳川氏入府前は概ね千葉氏の勢力下で千葉氏より特権を与えらたれた商人により行われていました。交易は房州、上総、下総などかなり広範囲でした。(滝川恒昭氏:千葉氏の商人頭)
徳川氏入府~利根川東遷まで
◇徳川家康が入府すると直ちに治水事業に着手、文禄3年、会の川の締め切り、慶長14年、銚子川口工事を米沢・秋田・相馬藩などに普請を命じています。詳細は不明ですが、受益者になるであろう東北諸藩に命じていることが興味深く幕府は当初より銚子を水運の拠点とすることを意識していたのでしょうか。
◇慶長19年、盛岡藩の蔵米が三陸沿岸から江戸に廻漕された記録があります。
元和2年の仙台米 ・ 材木運送書状では潮来-鉾田ルートの世間並運賃なら高田(銚子市高田町)の衆に運ばせろと書いています。
元和6年仙台米及び材木運送書状では、潮来-鉾田ル-トの世間並運賃なら仙台より海路で銚子まで運び高田の衆に江戸まで運ばせろと命令しています。このころ銚子ル-トが検討され始めたことは確かです。正保期、仙台藩銚子廻米次第に多くなる(銚子港沿革調)とあります。潮来に仙台藩蔵屋敷が遅れて津軽藩蔵屋敷が置かれています。(文責:管理人)
 
利根川の東遷後
 銚子の躍進、潮来の衰退
◇赤堀川が通水し利根川が今の流路になりました(1654年:利根川の東遷)
仙台藩は荒野村に陣屋をおき吏員を常駐させています。 銚子躍進の兆しが見えます。寛文8年津軽藩の廻米が潮来に着岸の記録あり、潮来・銚子相互の時代か?
寛文11年、河村瑞賢、東廻り航路。銚子は幕府の御城米船の指定寄港地になりました。
◇河村瑞賢が西廻海運を確立しました。
廻米船の潮来着岸減少、銚子への廻米船入港体制が確立(斎藤)とあります。
元禄年間)潮来最盛期(元禄13)潮来商人の献金額が藩全体の3分の1なっていますが(元文年代)大洪水利根川の本流が佐原地方になり潮来は港機能を失いました。潮来の津軽屋敷の廃止。銚子の今宮、荒野、新生、飯沼の4ケ村は飛躍的発展をしました。
明治期以降の水運
ピークから衰退へ
明治23年 (1890)野田-流山間「利根運河」完成し、銚子~江戸の時間が大幅に短縮しました。この頃が銚子での水運のピークだったのでしょうか?。明治30年(1897) 総武鉄道株式会社が全線開通し、本所・銚子間が4時間10~20分で結ばれました。水運は鉄道にシフトしていくことになりました。後に、トラック輸送が一般化すると銚子での水運はほぼ無くなりました。文責(管理人)

川岸公園の散策
◇川岸公園は市民と観光客の憩いの場です。昭和38年旧銚子大橋が完成するまでは、この辺りは茨城県旧波崎町と銚子を結ぶ渡船が就航していました。
◇今の銚子大橋(最上部の写真①)は平成25年に建て替えられた2代目です。川に架かる橋としては日本一の長さを誇ります。朱色の銚子大橋は流域面積日本一の利根川の雄大な流れとよくマッチしています。ゆったりとした川の流れに身を任せ、行き交う船やカモメをぼんやり眺めるのも素敵です。
◇釣り場の一つ:公園の脇から入れる銚子港の釣り場も近いです。(トイレあり)
◇河童ハウス:銚子には昔、母子かっぱが住んでいて人びとを水難から守ったといわれています。銚子のまちおこしを祈念して、平成七年、母子かっぱの銅像が建てられた。
大内かっぱハウスは、大内恭平氏が全国から集めたかっぱに関するグッズ約4千点を展示している施設です。銚子にゆかりのある小川芋銭やかっぱイラストでおなじみ清水崑、小島功などの作品他、多数展示されています。
  銚子の醤油産業
 



写真③
ヤマサ醤油:しょうゆ味わい体験館


写真④
ヒゲタ醤油の工場正門


写真⑤:フレスコ画案内版





写真⑥:濱口梧陵紀徳碑
工場見学地に隣接


 銚子の醤油産業が発展できた理由
◇銚子は太平洋に突き出た半島で沖合は黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかり合い東に向きをかえるところです。寒暖の差が少なく温暖で多湿、醤油醸造には適しているといわれています。また、大消費地である江戸(東京)と水運で結ばれていたことで輸送コストが少なかったこと、 醤油の原材料である大豆、小麦は常陸・下総、塩は行徳で帰り船と呼ばれる戻り船で効率よく入手できたことなどが挙げられます。


見学できる醤油工場
ヤマサ醤油(株)
◇1645年(正保2年)紀州広村出身の濱口儀兵衛が銚子でヤマサ醤油を創業しました。
ヤマサ醤油のこだわりが「ヤマサ菌」です。江戸時代から伝わるこうじ菌で長年にわたって改良され現在に至っています。ヤマサ菌にしか出せない色・味・香りは、他に真似のできない風味の良さだといわれます。
工場見学 
◇見学者は醤油の歴史や造り方などの映画(約20分)を見た後、工場見学となります。
ツアーでは仕込蔵に入り「もろみ」が変化してくる過程を見学します。最後の「タップトーク」では巨大な仕込タンクの中に入っているような錯覚に落ちいります。映像と音のヴァーチャル体験は大人からお子さままで楽しめます。その他、「せんべい焼き体験」や「しょうゆソフトクリーム」も人気です。見学時間:約50分(映画約20分、工場見学約30分)
※工場見学は土、日、祝日及びゴールデンウィーク、お盆の休業日は映画上映のみとなります。詳しくは、電話でお問い合わせください。工場見学費用:無料

ヒゲタ醤油(株) 
 ◇1616年(元和2年)、下総銚子の豪農、田中玄蕃が摂津西宮の酒造家、真宜九郎右衛門(さなぎくろうえもん)の勧めで醸造を始めたといわれ、関東で最古の醤油会社です。
その後の1697年(元禄10年)には、関東の濃い口醤油の基礎を作り上げました。
 工場見学
◇見学会は映画上映から始まります。VRスコープによる体験、フレスコ画(写真⑤)のある工場の見学です。
史料館;しょうゆ造りに使った昔の道具類、容器、広告などが見学できます。
しょうゆやつゆなども販売しています。
※ 土、日、祝日、お盆休みはPepperのお出迎え、映画上映、VRスコープ体験と史料館案内のみ。(所要時間:45分~1時間程度)。お電話でお問い合わせください。


濱口梧陵 紀徳碑
◇濱口 梧陵(はまぐち ごりょう:1820 ~1885年)は、紀州有田郡広村(現・和歌山県広川町)出身の実業家・社会事業家・政治家です。
醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)の当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗りました。
◇「稲むらの火」は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての津波を予期し村人を救った物語で、小泉八雲の英語による作品を中井常蔵が翻訳・再話したものです。文部省の教材公募に入選し、1937年から10年間、国定国語教科書に「稲むらの火」が選ばれたことから広く知られるようになりました。
◇地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説きました。後の1855年(安政2年)に堤防を建設しました。
 
 
 
  
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