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◇銚子港沿革誌では「銚子」の範囲について定義分けしていますが、最も狭義の4ケ村(飯沼村、新生村、荒野村、今宮村)が川岸公園を含むエリアで、後の本銚子町と銚子町)に当たります。4ケ村は利根川の水運により大きく発展した村々です。
◇大正時代の銚子鳥瞰図部分(図①)に見られるように利根川の水運が衰退後も銚子の中心部として発展し続けてきたことが分かります。市役所、税務署、警察書、学校、銀行(都市銀行を含む4行)、汽船会社、漁港、ヤマサ・ヒゲタ他の醤油工場、多くの寺社、工場、病院などが確認できます。
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主に「歴史地理学調査報告8(筑波大学歴史地理学研究会)」より |
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◇商人多し、芝居小屋、青物や、旅宿、東北諸藩の廻米を扱う御穀宿幕末6軒内の1軒は宮内与惣左衛門、紀州、摂津などの漁民集落。 |
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◇町商人多し、問屋、御穀宿5軒、東北地方の一般荷物を扱う気仙問屋は5件中4軒があった。物資輸送の中心的役割果たした。醤油は13軒中9軒:広屋重治郎(ヤマジュウ)、広屋庄右衛門(ジガミサ)、広屋儀兵衛(ヤマサ)。明治期には郡役所、町役場、警察、税務署、郵便局が置かれたれ中心的場所になった。東京銚子汽船株式会社、銀行などもあった。 |
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◇かつては飯沼村と一村であったという。漁師多し。 |
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◇飯沼観音下を中心とした商業集落と利根川沿いの飯貝根(イガイネ)を中心とした漁業集落がありました。草分け百姓で豪商の田中玄蕃家や高崎藩の陣屋があり、文化6年(1809)の人口は6216人で4ケ村全体の半分を占める大きな村でした。 |
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◇発展の要因は銚子が東北と江戸を結ぶ水運の要衝になったことです。地域の水運は徳川氏以前、利根川東遷まで、東遷以降、総武線の開通までに分けてみてみます。
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◇銚子周辺地域は縄文時代から海や川を介した交易が行われていました。徳川氏入府前は概ね千葉氏の勢力下で千葉氏より特権を与えらたれた商人により行われていました。交易は房州、上総、下総などかなり広範囲でした。(滝川恒昭氏:千葉氏の商人頭) |
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◇徳川家康が入府すると直ちに治水事業に着手、文禄3年、会の川の締め切り、慶長14年、銚子川口工事を米沢・秋田・相馬藩などに普請を命じています。詳細は不明ですが、受益者になるであろう東北諸藩に命じていることが興味深く幕府は当初より銚子を水運の拠点とすることを意識していたのでしょうか。
◇慶長19年、盛岡藩の蔵米が三陸沿岸から江戸に廻漕された記録があります。
元和2年の仙台米 ・ 材木運送書状では潮来-鉾田ルートの世間並運賃なら高田(銚子市高田町)の衆に運ばせろと書いています。
元和6年仙台米及び材木運送書状では、潮来-鉾田ル-トの世間並運賃なら仙台より海路で銚子まで運び高田の衆に江戸まで運ばせろと命令しています。このころ銚子ル-トが検討され始めたことは確かです。正保期、仙台藩銚子廻米次第に多くなる(銚子港沿革調)とあります。潮来に仙台藩蔵屋敷が遅れて津軽藩蔵屋敷が置かれています。(文責:管理人)
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銚子の躍進、潮来の衰退 |
◇赤堀川が通水し利根川が今の流路になりました(1654年:利根川の東遷)
仙台藩は荒野村に陣屋をおき吏員を常駐させています。 銚子躍進の兆しが見えます。寛文8年津軽藩の廻米が潮来に着岸の記録あり、潮来・銚子相互の時代か?
寛文11年、河村瑞賢、東廻り航路。銚子は幕府の御城米船の指定寄港地になりました。
◇河村瑞賢が西廻海運を確立しました。
廻米船の潮来着岸減少、銚子への廻米船入港体制が確立(斎藤)とあります。
元禄年間)潮来最盛期(元禄13)潮来商人の献金額が藩全体の3分の1なっていますが(元文年代)大洪水利根川の本流が佐原地方になり潮来は港機能を失いました。潮来の津軽屋敷の廃止。銚子の今宮、荒野、新生、飯沼の4ケ村は飛躍的発展をしました。
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ピークから衰退へ |
◇明治23年 (1890)野田-流山間「利根運河」完成し、銚子~江戸の時間が大幅に短縮しました。この頃が銚子での水運のピークだったのでしょうか?。明治30年(1897)
総武鉄道株式会社が全線開通し、本所・銚子間が4時間10~20分で結ばれました。水運は鉄道にシフトしていくことになりました。後に、トラック輸送が一般化すると銚子での水運はほぼ無くなりました。文責(管理人)
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◇川岸公園は市民と観光客の憩いの場です。昭和38年旧銚子大橋が完成するまでは、この辺りは茨城県旧波崎町と銚子を結ぶ渡船が就航していました。
◇今の銚子大橋(最上部の写真①)は平成25年に建て替えられた2代目です。川に架かる橋としては日本一の長さを誇ります。朱色の銚子大橋は流域面積日本一の利根川の雄大な流れとよくマッチしています。ゆったりとした川の流れに身を任せ、行き交う船やカモメをぼんやり眺めるのも素敵です。
◇釣り場の一つ:公園の脇から入れる銚子港の釣り場も近いです。(トイレあり)
◇河童ハウス:銚子には昔、母子かっぱが住んでいて人びとを水難から守ったといわれています。銚子のまちおこしを祈念して、平成七年、母子かっぱの銅像が建てられた。
大内かっぱハウスは、大内恭平氏が全国から集めたかっぱに関するグッズ約4千点を展示している施設です。銚子にゆかりのある小川芋銭やかっぱイラストでおなじみ清水崑、小島功などの作品他、多数展示されています。 |
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