_余山貝塚は縄文後期から平安時代までの遺跡_ |
縄文時代の暮らしを知る「宝箱」
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◇余山貝塚は3500年前の縄文時代後期から平安時代まで続く遺跡です。
貝塚は縄文時代に形成されました。
◇図2は現在の標高を標高別に色分けしたものです。
濃紺:標高3m以下、紺色:7m以下に設定しています。
◇縄文海進の頃は現在より2~3m海水面は高かったといわれており、大まかに、図②及び図③から縄文海進時の陸地部分を推測できます。
◇霞ケ浦周辺は図②より推測できるように縄文時代には今の霞ケ浦よりずっと大きな海(古鬼怒湾と呼ばれる入り江)であったことが分かります。そして、その周辺には多くの貝塚があります(全国的にも千葉県、茨城県多い)。古鬼怒湾の入り口は鹿島灘に開いて,太平洋につながっていました。
◇余山貝塚は利根川を5㎞ほど西北西に遡った現銚子市余山町にあります。
貝塚は利根川近くの沖積平野にある標高7m程度の微高地です。この高まりは砂が風(砂丘)や波(浜堤)によって運ばれてできたと考えられています。
◇図③の余山貝塚は紺色のエリアで(標高7m以下)すが、野尻古墳群は赤色(50m以上)で台地の上にあることがわかります。出土する貝の種類からも外洋に繫がっていたことが推測されています。
◇余山貝塚は水辺や浜に近く、遠洋にもつながる場所です。
余山は図③から分るように7m以下の標高です。当時の余山貝塚の周辺(現在田んぼ)は湿地帯で水鳥や魚が生息していたと想像できます。それら採ったり、貝を採取したり、遠洋に出て大型の魚の漁もしていました。現、神栖市波崎の砂州も当時はあまり伸びておらず、今のように川口まで下る必要もなく容易に外洋(太平洋)にでることができたと思われます。
◇下総台地の豊かな恵もありました:
図③で赤色で示されている台地は下総台地です。縄文海進と呼ばれる時代は海水面は今よりずっと高く、今の屛風が浦のように波が台地を直接削っていました。
その後、海水面が少しずつ下がり、沼地となり(今の田んぼ部分)現在の姿になりました。当時の台地にはイノシシ、シカなどの動物や春には山菜、秋にはクルミ・クリ・ドングリなどの山の恵み沢山ありました。
◇人が生きるうえで必要な真水は:
必須な水は台地から染み出るきれいな水源があり、高田川へと流れ出ています(現在も)。余山の地は縄文人が生活するに必要で充分な環境を備えていました。
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◇余山貝塚から貝殻や動物の骨などでつくられた道具などが大量に見つかっています。 特に貝輪(貝で作った腕輪)が多数見つかっており、生産跡と推定されています。
土器等祭祀(お祭りや儀式で)で使われた道具も多数出土しています。
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◇縄の模様が土器に施されているので縄文土器といいます。縄模様の種類は2,000~3,000種類あるといわれています。 |
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◇縄文時代に作られた人形や動物の形をした土器で、人形は女性の像がおおいです。
まじないや祭祀などで使われたという説があり、女性(母親)の像が多いのは安産や多産を願ったからといわれます。また、手足の一部などが破損したものが多く出土しているのは、身代わり厄災を払うためといわれています。「土偶」は弥生文化へ移行すると無くなっています。 |
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◇注ぎ口あり、今の急須のような形。 |
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◇縄文土器の進化したもので弥生から古墳時代まで(野焼きの進化「覆い焼き」)。
特徴:低温。赤味で厚手、やや軟質。実用:つぼ型・甕(かめ)型・高杯型の3種類。後に土師器に吸収されました。 |
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◇古墳時代からで弥生土器と同じ系統の野焼きの進化したもの。
低温赤味で薄手、やや軟質。用途:煮炊・食器。須恵器と共存 |
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◇古墳時代中期からで朝鮮半島の技術による。
特徴:1000度以上高温の窯、青灰色で硬い。
用途:貯蔵用や祭事用。土師器と共存。 |
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◇ 今のイアリングと同じです。 |
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◇貝輪とは貝殻で作ったブレスレットのこと。ベンケイガイという貝を使って、たくさんの貝輪を作っていました。余山貝塚が日本一といえる特徴の一つが貝輪です。
◇余山の縄文人は大量の貝輪を作っています。完成品だけでなく未完成のものも多くあり、貝輪の生産拠点と考えられています。 |
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◇動物の骨、角、牙、殻などを材料として製作された道具や装身具をいいます。
狩りや漁をするための道具
銛(もり、ヤス)、矢じり、釣り針など。ハマグリなど二枚貝の腹縁を欠いて刃にした貝刃(かいじん)、斧、篦(へら)、匙(さじ)、縫い針などもあります。
◇首飾り、耳飾り、髪飾り、ヘアピン、腰飾りなど。
◇これ以外に弓の先端につける弓筈(ゆはず)など。 |
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◇道具を作るには石の道具が必要です。それも余山貝塚で出土しています。
石さじ(ナイフ)、石さら(粉砕、製粉)、浮き、くさび形石器、磨石、石錘、石ぞく:矢じり、
石棒、石剣、たたき石、石斧(せきふ):石の斧。
◇千葉県は石器を作るための石材が乏しいと言われます。しかし、銚子は古い時代の地層が露出していて硬いチャートと呼ばれる石、安山岩、仕上げ過程で使う砥石(砂岩)あります。細かい調整は小さな石斧や錐を使って調整し、最後に砂岩を使って石を磨きます。
この「砂岩」やチャートは銚子半島の東海岸で調達できました。
◎余山貝塚に暮らす縄文人は周辺の自然の恵みを上手に利用し暮らしていました。
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