銚子ジオパーク市民の会

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20220514
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 愛宕山、渡海神社、粟島台
地球が丸く見える展望館(360度の展望)、ジュラ紀の地層、極相林の森:渡海神社、縄文遺跡(漆、琥珀)
愛宕山展望館から屛風ケ浦・富士山を遠望 
写真①:屏風ケ浦の海食崖は10㎞に渡って続きます。その台地は下総台地(図①赤色部分)と呼ばれ、展望台からは平らな段丘面として広がっています。台地には浸食による谷地があり、そこは人手が入らず木々が生い茂り隈取したように見えます。台地ではキャベツやダイコンが栽培されています(銚子は春キャベツの出荷量日本一)。台地には風車が見えます。銚子は半島地形のため風力発電に適しており現在34基の風車が稼働しています。大規模な洋上風力発電の計画もあります。
   
  愛宕山は北総一の高所&千葉県一古い地層 

写真②:地球は丸く見える丘展望館


図①地理院自分で作る標高図で作成
右赤部分は50m以上の台地で下総台地。画面右下の赤色部分が74mの愛宕山。


写真③:展望館屋上から犬吠を望む


写真④国土地理院
一等三角点高神村


写真⑤:日比友愛の碑


写真⑥:
愛宕山層の上に直接のる関東ローム層

写真⑦:鬱蒼とした渡海神社本殿



写真8:渡海神社の極相林
タブノキ・スダジイが主体
 
      愛宕山&地球が丸く見える丘展望館            

北総地域一の高所
愛宕山は太平洋に突き出た銚子半島の南部に位置し、銚子は勿論、北総地域で一番の高所で標高は73.6mあります(図①右下赤色)。地球が丸く見える丘展望館は1988年(昭和63)1月1日に開館しました。展望スペースの海抜は約90mです。写真②参照

 銚子半島を大観できます
北は鹿島灘から筑波山(標高877m)、西は屏風ヶ浦から九十九里浜北部を望むことができます。360度中330度までが水辺のため。水平線がまるく見えます。地球の丸さを実感できます。
展望館から鹿島工業地帯、大洗、日立市北部の山並み、筑波山、日光男体山(2484m)、運が良ければ海上に富士山(3776m)を見る事もできます。夕方はシルエットの黒富士山が見えます。銚子は富士山可視最東端の地です。
◇写真④:愛宕山には国土地理院の一等三角点が設置されています。
 

 日比友愛の碑
 ◇日比友愛の碑は第二次世界大戦で戦火を交えた日本とフィリピン両国民が世界の平和を祈念するため昭和33年6月に建てられました。この塔は友愛の浄火をかたどったものです(写真⑤)。炎の先端は遠く洋上3,000kmのフィリピンマヨン山(マニラ富士)に向っています。 マヨン山:ルソン島南部、成層火山。標高2,462m。


    千葉県一古い愛宕山の地層            
 千葉県で一番古いジュラ紀の地層
◇愛宕山層群は千葉県で一番古いジュラ紀(2億年前)の地層です。大陸のプレートの下に海洋プレートが海溝で潜り込むとき、大陸からの砂や泥などと、海洋プレートの移動でやってくる海山、サンゴ礁起源の石灰岩、深海の底で堆積したチャート(放散虫の遺骸)などが、ごちゃ混ぜとなって剥ぎ取られ陸側に付いた付加体です。
愛宕山層群には犬岩や千騎ケ岩や黒生のチャートが含まれます。


 高神礫岩
◇友愛の碑の足元にある石垣に高神礫岩が使われています。硬い岩石で、愛宕山層群に属します。その石灰岩の礫から「フズリナ」と呼ばれる化石が産出します。紡錘虫は2.5億年前の古生代末に絶滅しました。(広義のフズリナ は 紡錘虫類のこと)
◇フズリナは古生代(石炭紀~ペルム紀)に全盛期を迎えた有孔虫。主として石灰質の殻と網状仮足を持つアメーバ様原生生物の一群です。
 普通は1mm以下、大きいもので5cm程度、化石では最大で19cmがあります。
 25万種が知られており存続した期間は約1億年。
 秋吉台などの石灰岩中に多量に存在し、進化の系統が研究されています:示準化石
 古生代二畳紀末に突然絶滅、中生代への転換期に起きた大量絶滅を証明する化石。
 (古生代石炭紀にはじまり,二畳紀末に絶滅した原生動物の一群)

12万年前、愛宕山周辺は孤島だった!
展望館から300m位下ったところに愛宕山層の上に直接関東ローム層がのっているのを観察できる場所があります。このことは何を意味しているのでしょうか(写真⑥)。
12万年前の海水準が高かった時代にも陸として存在していたことを示しています。
隣の屏風ケ浦の地層には凡そ10万年前、海で堆積した香取層がありますがここにはありません。
◇12万年前の海水準の高かった時代にも水没せず孤島として存在したことになります。
図①右下の赤丸部分が愛宕山です。かつての銚子島です。

渡海神社&極相林 
 
   東端の地の守り神:渡海神社         
 
 渡海神社
◇写真⑦が渡海神社本殿です。ここは極相林としても知られています。
◇正確な創建年代は不詳ですが、一説に和銅2年(709)と云われています。
当初建てられた場所はここではなく、外川の日和山(大杉神社境内)に創祀されたといわれています。後に津波のため貞元(しょうげん)元年(976年)高神の地(海抜40m)に移転したと言われています。
◇3.11の地震の際、どこの神社も被害は比較的少なかったようです。長い歴史のなかで安全な場所へ移ってきたこともあるでしょう。
◇祭神は猿田彦大神・綿津見大神です。社格は郷社になっています。
渡海神社は下総一の高地である愛宕山を背景に東端の地、銚子半島の守り神・鎮守として創祀されました。

 
極相林
◇境内に入って天上を見上げると空が見えません。光を求めて葉っぱが広がっています。葉の表面は照りがあり(照葉樹林)常に緑色しており落葉しません。広い葉っぱの常緑広葉樹です。人手が入らない神社や寺の森、谷津地に多いです。
◇熱帯多雨地帯では常緑広葉樹林が成立し、緯度の高い温帯では落葉し、寒さがそれほど厳しくない地域では葉を落とさず常緑広葉樹林が成立します。葉を冬も維持し続けるために、熱帯多雨林のものより葉が小さく厚くなる傾向があります。
◇海神社の極相林について
タブノキとスダジイが主の林で、ヤブニッケイ、トベラ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が多いです。
 高木層(10~15m)はタブノキとスダジイで構成され、
 下層にはヤブニッケイ、ヤブツバキ、モチノキがみられます。
 低木層(5~3m)にはヤツデ、ヒサカキなど14種以上が、
 草本層(3m以下)にはカクレミノ、マンリョウなど20種以上が見られます。
◇渡海神社の森は強い潮風のため森林の高さはあまり高くならず、枝は曲がりくねっています。典型的な海岸の極相林といわれています。
◇千葉県の天然記念物に指定されています(昭和34年)。
    
   粟島台遺跡

写真⑨:粟島台遺跡
キャベツ畑に木柱が立っているのみ

平成30年度銚子ジオガイド講座資料から    元資料:太田ほか(1985)改変
図②

海進初期(10000~8000年前)


縄文海進最盛期(7000年前)


海退開始期(6000~5000年前)


現在

粟島台遺跡とは
◇写真⑨:粟島台遺跡は現在一面キャベツ畑で案内版と木柱が一本建っています。
◇粟島台遺跡は標高10~14mの舌状の台地と、その周辺の標高7mの低湿地に立地しています。(図②参照)年代は縄文前期から後期(約6000年前~約3000年前)の時代です。近くの犬吠周辺(白亜紀地層)で琥珀が産出します。
◇その琥珀を加工し琥珀製品として供給していた拠点と考えられています。
また、漆が塗られた土器なども多く出土しています。


 粟島台の段丘地形
◇今の粟島台は昔は海でした。4~3万年前の海水準の低下と隆起により粟島台(千葉第2段丘)が陸化しました。また、隣り合うそれより一段高い段丘面は約8~7万年前に海水面低下と隆起によって陸化した台地(千葉第1段丘)です。

粟島台の出土品
◇図②参照: 低湿地は遺骸(有機物)が分解されにくく、堆積して泥炭地となっています。この泥炭地には動物や植物が出土しています。それらから当時の生活環境がどのようなものであったかが明らかになってきています。
 
魚類  サメ、スズキ、マダイ、コブダイ、クロダイ、ウツボ、カツオ、ハモ類
鳥類  ヒメウ、ウミウ、ガン、カモ、ワシ、アホウドリ
爬虫類  アオウミガメ、オサガメ
哺乳類  マッコウクジラ、バンドウイルカ、オットセイ、トド、イヌ、キツネ
植物  クルミ、クリ、ヒシ、オナモミ、キカラスウリ、マツモ、イヌガヤ、ヤブツバキ 
 
 漆   ヤシ実半分に漆を塗って加工漆を扱う技術
琥珀   原石、半加工品など


粟島台出土:琥珀
銚子市所蔵
 粟島台出土:縄文土器
銚子市所蔵
 

粟島台出土:縄文土器
銚子市所蔵

 粟島台出土:クルミ
銚子市所蔵
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